父親と母親のDNAを引き継いだ私の音楽を多くの人に聴いてほしいです NICE73


作詞・作曲家、歌手、MCなど幅広く活動しているNICE73(ナイスナナサン)といいます。中学2年から学び始めた韓国語を生かし、2002年日韓共催W杯の自主応援歌の歌手活動を始め、2005年には韓国でソロ歌手としてデビューしました。帰国後は、作詞活動をスタートさせ、KARAの3rd Single C/W「ウィスパー」、2PMの3rd Single「Ultra Lover」のラップ詩、川畑要さん(ケミストリー)の「HERO」など、多くのヒット曲の歌詞を書かせていただきました。歌手活動としては、「三々五々に、問う」というバンドで、ボーカルをさせていただいてます。

音楽活動をしようとしたきっかけは何ですか。

まだ私が小さかった頃、サッカーのワールドカップがフランスでやっていて、次が韓日共催だから、多分日本で「韓国」が流行るだろうと言って、父親が韓国語の勉強を始めたんです。そしてある日、父親は私を韓国語教室に連れていき、私も一緒に勉強を始めることになりました。そんなとき、韓国大使館が2002年ワールドカップの応援ソングの歌手を募集するオーディションを行ったんです。私はもともと歌手をやりたいと思っていたので、応募したら見事合格し、これをきっかけに、5年間、国立競技場とか長居競技場など、Jリーグの試合で、チマチョゴリを着て応援ソングを歌う活動が始まったんです。
私は当時、韓国に興味があったので、時々韓国にも行っていたし、CDもよく聞いていたのですが、韓国の音楽のレベルの高さに惹かれてしまって、どうせなら他人がやらないことをやってみたいと思い、韓国で歌手活動をしようと決心したんです。

それで、韓国でソロ歌手としてデビューしたんですね。

はい、韓国でオーディションに合格して、2005年にデビューしました。ラジオに出演したり、新しい曲のレコーディングをしたりもしましたが、韓国という国で、ちょうど時期も悪く、なかなか自由には活動できなくて、練習を繰り返す毎日でした。主な練習というのは、発声練習の他、モデルとなる曲を息継ぎの場所から息継ぎの仕方まで全部真似するというものでした。この練習方法が、今思えば、自分にとってとっても役に立ったなって思っています。毎日、苦しい日々が続いていましたが、父親も母親も応援してくれていたし、ここでやめちゃいけないなと思い、6年間、歯を食い縛って頑張っていました。そんなとき、父親が病気にかかってしまい、やむを得ず帰国しました。

帰国後は、どういう活動をしているんですか。

私はずっと音楽しかやってこなかったんで、会社員になるとかは考えられず、音楽を続けたいって思っていました。ある時、たまたま知り合いのソニーの方の紹介で、世界中からの作家さんが一堂に会して音楽を作るという「コライト」というイベントの通訳をさせていただいたんです。そのとき、仮の詩や仮の曲を書く機会も多く、「作詞をやってみない」って言われて、作詞家としてデビューしました。今では、作詞だけでなく作曲もさせていただいているんですが、日本でも有名な「KARA」とか、「2PM」といった韓国の歌手の他、川畑要さん(ケミストリー)をはじめとする日本の歌手の詩も書かせていただきました。
この頃は、作詞家として本格的に活動しようかなって思い始めていたのですが、父親が私の歌が好きで、「歌わないカナリアはカナリアじゃないから」とずっと言われていたんです。父親の病気が重くなってきて、せっかく曲も書けて、詞も書けて、歌も歌えるんだから、父親に私が歌っている姿を見せたいという思いが強くなって、ライブ活動を始めることにしたんです。

それでは、ライブ活動について教えてください。

はい、「三々五々に、問う」というバンドを組んで、都内のライブバーなどで行うことが多いです。バンドの編成は、ウッドベースとギターとドラムとボーカルの私です。選曲はそれほどジャンルにはこだわっていなくて、私のライブに来るとおもちゃ箱に入ったような気分になれると思います。時には民謡とかも歌ったりするんですよ。どちらかというと「家族」とか「生き方」とか、普遍的なものに関する歌が多いかもしれません。オリジナル曲も歌っていて、母親と子供の頃の私について歌った「Cha.Cha.Chaお茶漬け」、冬の日の夕暮れ時のマジックアワーを見ながら思い浮かんだ「斜陽」など10曲ほどあり、3曲入りのCDも1200円で出しています。


私はポップスが好きで、自分は常にポップスを歌っているんだと思っていますが、他人から見ると、それはポップスじゃないよと、思われることもあるようで、それをどう思いますか?って三々五々に問うているんです。よく、バンド名が変わっているねって言われますが、バンド名の由来はここからきているんですよ。あと、私は数字が好きで、「三々五々に、問う」は、数字で書くと、「3355210」となるし、私は7月7日に生まれてナナだし、そんなことで、数字で表記できるバンド名にしたかったんです。

MCとしての活動も多いそうですね。

最近は日本に、また韓流が入ってくるようになったので、嬉しいことにMCの機会が増えてきています。先日は、「天国の階段」という韓国ドラマの主題歌「会いたい」を歌っているキム・ボムスさん、この方は韓国ではスーパースターなんですが、そのイベントのMCを担当させていただきました。他には、T-ARAというアイドルグループのMCなどもさせていただきました。私の場合、俳優さんよりは歌手のMCをやることが多いですね。あとは、年1回、幕張メッセで韓国の大きなお祭りが開催されるのですが、そこでもMCの機会を頂くことができました。これまではずっと韓国の方のMCが中心だったのですが、最近は、日本の方のMCもさせていただく機会も増えています。私はMCにそんなに自信があるわけではなかったんですが、みんなが笑顔になってくれているし、自分でもやっていて面白いので、私にもなにかできることがあるのかもしれないなって思うようになってきました。

韓国語が得意だそうですが、どうやって習得したんですか。

私の場合、最初に韓国語を習ったのは、普通の韓国語教室だったんですが、もっと日本にいながら勉強できる方法はないかと、日本語を教えるという名目で韓国からの留学生の女性3人と毎日の様に一緒にいました。これは生の韓国語を勉強するのには最適な方法だったと思います。3人の言うことを耳で聞いて、カタカナで書きとって、日本語でなんと言ったのかを確認することを繰り返しました。この学習方法で、1年くらいで普通に韓国語が話せるようになりました。

韓国語の先生もしているそうですね。

はい、このような経験を他の人にも伝えたいなと思い、韓国語の先生もやるようになったんです。初めの頃は、Youtubeに「NICE73のハングルぐるぐる」っていう3分間くらいの動画を毎日アップしていました。実は再生回数もあまり伸びなかったんですが、コアなファンの方がいて、その方々が毎日楽しみにしてくれたので、約2年間続けることができました。これでMCの力もついたと思っているので、やって良かったと思っています。その後、ネットではなくてリアルでやろうと思って、「リアルハングルぐるぐる」というのを始め、現在は少人数で週2回、和気藹々な雰囲気で教えています。

歌手活動へのこだわりがあるそうですね。

韓国語を教えたり、MCをやったり、他にもいろいろな活動をさせていただいてますが、基本的には音楽をやりたいという気持ちが一番強いんです。ただ、私の音楽を聴きにきてもらうためには、他の分野でも活躍することが大事な要素だと思っているんです。MCとしての私しか知らない方が、ライブを見に来ていただくようなこともすごく多くて、MCでの私とのギャップに驚かれることも少なくないんです。音楽をやり続けたいから、もっといろんなことに挑戦して、力をつけていきたいなと思っています。

最後に、今後の活動について教えてください。

今後も今のままで、ライブ活動も続けたいし、作詞だけでなく、曲を人に提供することもやっていきたいです。もちろん、MCの仕事も、最近特にやりがいを感じているので、これまで以上にこなしていきたいですね。そして、他にもっと自分にできる表現方法があるのであれば、積極的に挑戦していきたいです。これからもいろんな縁や出会いがあると思います。自分のできることを一生懸命にやって、縁を大切にして、頑張っていこうと思います。

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